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「入院」
広州に来て2日目に出会った中国人学生がいる。本科生ではなく英語クラスに所属している黄偉(ホワン・ウェイ)だ。校内を散歩していると、一番奥の溜池で釣りをしていた。日本にいた時からの癖で「釣れますか?」と声を掛けたのがきっかけだ。

もう一人いた学生と三人でしばらく釣り糸を垂れていたが一向に釣れない。釣りの間はもう一人と話していたのだが、何時の間にか姿が見えなくなっていた。二人きりになった黄偉と場所を芝生に変えておしゃべりすることになった。
 最初は愛想の悪い印象だった黄偉だったが、話すうちに意外と多くの共通点があることが分かってきた。
1)二人とも広州に来て2日目。
2)年齢は共に22才。
3)語学に興味を持ち中山大学にやって来た。
 同い年ということもあって、僕らはすっかり意気投合し、初日から話し込んだ。大学の向かいの食堂で夕食を一緒に食べて、ビールを飲んだ。最後に僕が「今日は君に出会えて嬉しいから、僕のおごりだ」と言って勘定を済ませた。これは半分本当だが、半分は中国人に払わせるのは気がひけるという思いもあった。

 後日、彼の述懐によると、このセリフを聞いて「こいつ日本人らしくないな、中国人の発想が通じるかも」と思ったらしい。実際、留学期間を通じての友人として親しく交わり、彼の実家である武漢には2回行くことになる。初対面の時、愛想が悪いように思ったのは、彼も広州に来たばかりで友達もおらずホームシックになりかけていたのだった。ひょんなことから出会った僕という、外国人ではあるが広州で最初の友人が出来て嬉しかったようだ。二人で「広州に来たのに地元の人と友達にならず、よそ者同士で友達になっちゃったね」と苦笑いしたこともある。ともかくすっかり日が暮れてから翌日の待ち合わせを約束して別れた。

それからは授業が終るとベンやトロイと遊び、夕食を済ませると黄偉と学内の芝生の上で語り合うようになった。武漢訛りを極力排し、綺麗な標準語で話してくれたおかげで、大いに僕のヒアリングと会話の練習にもなった彼との付き合いだが、そのうち彼から色々と相談を受けるようになった。将来のこと、片思いの女の子のことなどなど。僕は僕なりに真面目に相談に乗るようになったが、聞き取れないことも多く、彼の期待に十分応えることができたとは言えなかっただろう。しかし、誰かに話すことによって、黄偉の心のもやもやが少しでも軽くなれば、と思うことにした。

中国語のクラスは初級から中級まで4つのクラスが設置され、広東語の初級クラスが1つあった。春にやって来た僕は編入ということになり、外事処の通称「バカボンパパ」と呼ばれる初老の担当者と面接を行ない、「君は一番上のクラスだ」と決められてしまった。後から思うにその下のクラスは既に定員オーバーしており、6人ほどしかいなかった最上級クラスに入れざるを得なかったのだろう。一応日本では中国語を専攻していたとは言うものの、実践中国語は2回の短期旅行しかなく、買物と道を尋ねるくらいしかスラスラと話せなかった僕は、中国語で授業を受ける、という環境の変化に慣れるまでかなり時間がかかった。毎日予習と復習を懸命にやっても授業についていけない日々が続いた。先生からは「あなた語彙が足りないのよ。もっと本を読みなさい」と宣告されたが、そのうち体調がおかしくなってきた。

 1週間ほど授業に出てから、熱が出て食欲が無くなり休むようになった。熱は下がるどころが日に日に上がり、脱力感が全身を覆った。飲まず食わずでベッドに横たわること3日、2階に住むヤマトさんが缶詰のおかゆを持ってきてくれたり、トロイはベッド際で聖書を片手に祈りを捧げてくれたりしたが、とうとう歩けなくなり、クラスメート二人に両肩を支えられて病院に向かった。診断の結果は「痔」。患部はすっかり腫れ上がっており、手術しなければならない、と言われてそのまま入院した。トイレの時の激痛には気付いていたが、まさか痔が原因でここまでなってしまい熱が出ていたとは思いもしなかった。

入院してもすぐに手術したわけではなく、2日ほど待たされた。その間ベッドに横たわりウンウン唸っていたが、とうとう手術当日がやってきた。しかし、外国人であるため手術を行なうには肉親の承諾がいる、とかで留学生仲間が日本に電話したりしてくれたが、病院を納得させられる結果にはならなかった。仕方ないので駐広州日本領事館に代理承認してもらおう、ということになったが、多忙を理由に病院へ来ることは拒否されてしまった。

結局領事館で電話で手術了解の旨を病院側に伝えてOKとなった。手術室では出産用の台に仰向けに寝かされて、その後麻酔が効いて意識が無くなった。僕は全く記憶がないのだが、後日聞いた話によると、術後麻酔が覚め切っておらず朦朧とした状態の時に、医者と中国語でやりとりしていたらしい。

入院は約3週間で、幹部用の個室があてがわれた。医師や看護婦、他の患者らとも親しくなった。簡単な広東語も耳から覚えたが、自由に会話するには程遠いレベルだった。ある若い女医が僕を気に入ったようで、5月の誕生日にはバースデーカードを送ってくれた。また、留学して日が浅いにも関わらず、日本人留学生仲間が心配して入れ替わり見舞いに来てくれ僕の体調を気遣ってくれた。

退院して留学生楼に戻った僕は、黄偉に会いに行き、それまでの顛末を話して聞かせた。びっくりしながらも、勉強の遅れを取り戻すべく、僕の中国語のレベルアップに協力してくれた。しかし寝苦しい夜が続き、青白い顔で焦りばかりが募る日々が続いた。
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