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今夜の番組チェック

「悩める日々」
91年5月。

人は嫌なことは自然と忘れるものらしい。この頃の記憶がどうも曖昧なのだ。どんなことがあったのか、何をして過ごしていたのか、正直行ってよく覚えていない。それでもぼんやりと当時の記憶を掘り起こしてみれば、日々体調不良と中国語コンプレックスのお蔭で悶々と過ごしていたような気がする。

後に判明するのだが、3月に受けた手術は病気を完治させるものではなく、対症療法的なものだったため(患部を摘出したのではなく穴を開けて膿を出しただけ。患部は温存されそのことによる食欲不振を招いていた)、段々とやせ細り疲れやすくなっていた。ただでさえ油こい料理が主流の中国にあっては、お粥と言えども油が垂らされているのは、当時の僕にしてみれば相当に腹立たしかった。

語学については、それまで日本でやってきた勉強の無意味さを思い知らされる日々が続いた。元来吃音の傾向のある僕は、自信のないものにぶつかると更にその癖が強調され、「読めない、書けない、話せない、聞けない」の四重苦に陥っていた。4つあるクラスの一番上級クラスで分からない授業を受けるよりもランクを下げたクラスの方が学習効果が出る、という僕の切羽詰った訴えも先生達からは却下され、同学達も「頑張れ!」と励ましてくれるだけで、僕としては確かに頑張るしか方法はなかった。

「斉秦」:サングラスを掛けると浜田省吾に似ていたのが注目のきっかけそんな日々に僅かでも慰めを与えてくれたのはギターだった。日本にいた時から我流でギターを撫でていた僕は、ギター好きの仲間を得て練習に精を出すようになった。仲間は年上のY登さん。長渕剛に心酔しており、よくコピーして歌っていた。最初の歓迎会では挨拶もそこそこに延々と歌うその姿に圧倒され呆れたものだった。僕は浜田省吾が好きだったが楽譜がないと弾けないため、Y登さんが作ってくれた中国語の流行曲のコード表を見ながら歌うようになっていた。当時、大陸の歌は妙に野暮ったく好きになれなかった。そこで大陸でも人気のある台湾の歌を専らコピーしていた。童安格、斉秦、王傑などなど、それまでテレサ・テンとアグネス・チャン、欧陽菲菲ぐらいしか知らなかった僕の目の前に新しい中国語楽曲の世界が開けてきた。がむしゃらに歌ううち、次第に中国語も話せるようになってきたのは幸いだった。実戦能力が低くても、発音だけは日本でマスターしていたため、決まった語句を繰り返し口にして暗唱できるまでになると、それを基礎に応用できるようになっていったのだった。まさに歌さまさまだ。

宝漢酒家:やたらと美味しかったことを覚えているよ!今でもあるかな?5月も後半になるとそろそろ日本に帰る人も出てくる。I塚さんもその一人だ。大学を休学して中国に来ていたため、帰国して就職活動をしなければならない。授業を1ヶ月残して中山大学を去る人気者を盛大に送り出そうと送別会が催された。授業が終わってから同学数人に連れられ大学近辺では比較的上品な「宝漢」レストランに予約をしに行った。入口にあるサービスカウンターで日時と人数を告げ、コース料理を見せてもらい日本人向けにアレンジして予約は完了。さらに玄関に掲げるボードの言葉もしっかり伝えて店を去る。僕にとっては初めての経験だった。

こうして5月はあっという間に過ぎ、暑い6月がやってきた。体力の弱った僕には一際激しい熱気を送りつける太陽が恨めしかった。
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