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「無念の一時帰国」
91年6月。
本人拡大画像は下にありますなんとか身体をごまかしながらも期末試験を乗り越えることができた。中国人の本科生より一足早く夏休みに入ったわけだ。これからまるまる2ヶ月間が夏休みとなる。そして年度末でもあるため、留学を終えて帰国の準備に入る者もいた。長期休暇を利用して旅行に出る者もいる。いずれにしても1年で一番暑い季節を迎えることになる広州にただ居残る者は少数派だった。

僕も例に漏れず、どこか国内旅行でも行こうかと、まずは数日身体を休めることにした。夏休み全てを費やすことはできないにしても、せっかく中国にいるのだから広州以外の場所、今まで訪れたことのない場所へ行きたいと漠然と思っていた。

そうするうちに再び以前の不快感が襲ってきた。熱が上がり食欲が失せる。ほんの数ヶ月前の苦痛の日々が鮮やかに甦ってきた。「もう二度とあんな思いはしたくない!」。僕は身体が弱り切ってしまう前に、日本に帰って治療を受けることにした。病院に行かなくても分かっていた。以前の痔が再発したのだ。

中山大学を去る者、旅行に出る者。思いもしなかったが、自分が一番最初に広州を離れることになった。痛む身体を引き摺りナイトフェリー乗り場へと向かった。夜の9時に乗船して翌朝6時に香港に到着するルートだ。香港との往復にはよく使った乗り物だった。時間はかかるものの朝早くから香港で活動できるため便利なのだ。

再び会えるかどうかも分からない同学たちとの挨拶もそこそこにフェリーに乗り込んだ僕は、熟睡できぬまま重い足取りで香港の中港城フェリーターミナルに降り立った。そしてターミナル内で朝食を無理矢理食べてから尖沙咀にある旅行会社に向かった。開店と同時に中に入るとカウンターの女性に言った。「今すぐ大阪に帰る便のチケットを売って下さい!」。

幸い希望するチケットを入手することができた僕はすぐに空港に向かった。デイバッグに必要最小限の物しか入れてなかった僕はすぐにチェックインを済ませ搭乗時間まで出発ロビーの階段に腰を降ろして待つことにした。もう歩くこともままならなかった。冷たく固い階段に座って、それまでの留学生活をぼんやりと振り返っていた。「この数ヶ月、僕は一体何をしていたのだろう?」

出発時間までが異常に長く感じられた。留学の成果を充分に上げることも出来ずに一旦帰国することは悔しくもあったが、今はまずこの苦痛を取り除くことが最優先だった。固い階段で座り直した時、尻が濡れていく感触が広がった。「えっ!ひょっとして漏らしちゃったのか?全然そんな自覚症状はないのに?」。慌ててトイレに駆け込み確認すると、それは痔が膿んでいたところが破裂して中の膿みが溢れ出ていたことが分かった。そしてその途端、急に身体が楽になっていくのを感じた。さっきまでの辛さがウソのようだった。

こうして飛行機に乗るときにはすっかり元気になっていた。「本当に帰国する必要があるのかな?」と思えるほど、痛みも熱も無くなっていた。もう普通に歩くことが出来たのだった。それでも帰国して病院で診てもらうと、正式な病名は「痔瘻(ジロウ)」という、痔が膿んで肛門内から体外へと肉を腐らせていき管が出来て最後は体表を突き破る、という病気であることが判明した。

なんと重苦しい表情でしょうか!数日後入院・手術を受け、1週間ほどで退院した僕は夏休みを日本で過ごすことにした。体調を回復させ、来たる新学期を万全の状態で迎えるために。
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