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| 91年8月末。 まだ真夏の広州に僕は再び降り立った。7月の入院生活を終えたあと、8月は自宅療養ということでのんびりしていた。その間に幾分太った僕は、すっかり体力の回復を果たしていた。 「これが同じ広州なのか」。 そう思えるほど僕の目に映る街並みは違って見えた。あれほど重苦しくどんよりした広州はどこにもなく、晴れ渡る空から燦燦と陽光が差していた。曲がりなりにも標準語クラスを終了した僕としては、次はいよいよ本命の広東語クラスに参加すべく、心身ともにやる気になっていた。 中国の大学は9月に新学期を迎える。留学生もそのスケジュールに合わせた形で出入りがある。というか、日本のほうが4月始まりというあまりよその国にない月に区切りを迎えているのだから、むしろ欧米の学生にとってはなんの違和感もないだろう。留学生楼で見る顔ぶれは、西洋人に関してはすっかり新入生に入れ替わっていた。ごく少数の本科生や非欧米諸国の留学生だけが年度を跨いで勉強を続けていた。日本人はというと、これは一概には言えないが、半分ほどが入れ替わった、という感じだろうか。国費留学生の場合は単年度であれば中国の年度に合わせてやってくるのでやはり9月が新入生を迎える季節になる。私費の場合はまさに本人の希望次第で出入りがある。いずれにしても僕は年度が変わって新たな気持ちで頑張ろうと素直に思える心境になっていた。
広東語のクラスは初級のみ、授業は北京語で行なわれる。そのくせ教科書は先生のオリジナルだったり、香港で使用されている英語のものだったりと、3種類の言葉を使い分けながら勉強していくことになる。まさにカリキュラム自身が完成途上にある状態だった。最初の授業では、先生が広東語で質問してきた。「あなたはどれくらい広東語が話せますか?」。僕は日本でかじった「少しだけ分かります」という返事をしたのだが、後に間違った言い方(北京語をそのまま広東語読みしたフレーズ)だったことが分かり赤面した覚えがある。 生活面では、なぜか食事もスムーズに対応できるようになっていた。以前は油っぽくて味が薄い、と感じていたものだったが、健康を取り戻した僕はしっかりと当地の料理を味わうだけの余裕があった。以前のルームメイトのベンは既に帰国していた。しかし新しいルームメイトはやってこなかったので、しばらく一人で暮らすことになった。通常、二人部屋を一人で使用する場合は、二人分の家賃を支払わないといけないが、僕は「二人で住んでもよい」と言ってあったので、たまたま一人になっているだけで誰か新しい人が来たらいつでも一緒に住んで構わない、ということになっており、一人分の家賃を支払うだけでいいことになっていた。しかし結局この1年は新しいルームメイトはやって来ず、一人で暮らすことになったのだが。
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